母と着物と家族写真と☆の巻 ~着物大好きコミックエッセイスト 星わにこ連載コラム「オトナの着物生活」~
成人式の前撮りシーズン真っ盛り。私もお着付やコーディネート相談をさせていただき、幸せのおすそわけそしていただいております。
断然母目線でのお支度のお手伝いになるのですが、ほんとうにお嬢さんがたが可愛くて可愛くて仕方ありません。それもそのはず、私が20歳を迎えた時には、私の母は今の私より若かったわけですから。
私の田舎では当時「新生活運動」が盛んで、冠婚葬祭の虚礼を少なくしようということから成人式の振袖も着用禁止だったのです。いつの時代だよ、と言われますけど、平成最初の頃のお話です。
それで振袖は作らなかったけれど、代わりに少しだけ袖の長いピンクの鮫小紋を誂えてくれて、それで記念写真を撮りました。
その時、色違いで自分のために紫の鮫小紋を誂えていたのは後になって知ったことですが(笑)今となると、子供の成人記念にいい自分へのご褒美だなと思います。大学の卒業式では、私はその鮫小紋に袴をあわせ、母もお揃いの鮫小紋で列席してくれました。とってもよい思い出です。
母の鮫小紋はいつか私がもらおうと密かに狙っていたのですが(笑)、私もそろそろ紫が似合う年頃になって母に聞いてみると、伯母の家が火事で焼けてしまい着物もなくなってしまったからと、伯母にもらってもらったそう。
そんな風に、母のあのときの着物、このときの着物、なんていうものは結構覚えていたりするものですが、なにしろ母とは身長が18センチも違うので、よっぽどな手入れをしてからでないと着ることはできません。
唯一、黒羽織だけは引き返しがたくさんあったので、肩に接ぎを入れて仕立て直して着ています。
そんな中、お母様を早く亡くされた友人が、自分の振袖をお嬢さんに着せたいと相談に来てくれました。着物のことはよくわからないけど、もってきてみた!と見せてもらったのですが、きちんと手入れされて小物もわかりやすく仕舞ってあったのだろうなと拝察されて、母の想いに涙が出そうになりました。51歳で亡くなられたというお母さん。今のワタシとほぼ同じで、末っ子はまだ小学生。どんな想いだったのだろうと胸が詰まります。
孫娘が、自分が娘のために用意した振袖を着た姿を見たら、本当に嬉しいものだろうなと。実際に見ることは敵わなくても、想いは残って、受け継がれていくのだと思うと、人間はその想いを受け取ってくれている人がいる限り、そこにいるのだなと思うのです。
また、別の日の撮影ではご両親の双方のお母様、つまり成人したお嬢さんの二人のおばあちゃまが、一緒に写真を撮りにきてくれたり。目を細めながら可愛い孫の晴れ姿を見るお二人の姿に、ほっこり。
私自身は、弟が成人式を迎える前に亡くなり、母が弟の成人式の姿を見たかった、見たかったと何度も言うのを聞いていたので、子が無事に成人の日を迎え、晴れの姿で写真を撮るというのは本当に幸せなことだと、撮影のたびにじーんとしてしまいます。自分は記念撮影してもらったけれど、両親と弟の家族4人揃って撮ったまともな写真がないので、それも心残りが。いつでも撮れると思っていると、意外とそうでもないのです。明日は何が起こるかわからないし、人生の節目に思い切ってちゃんと写真を残しておけばよかったとしみじみ思うのです。
成人式の前撮りの、ご本人とご家族の笑顔を見ていると様々な想いで胸がいっぱいになり、これからの幸せを心から願わずにはいられません。私にとって、家族写真を撮影する仕事は、特別な気持ちがあり、勝手ながらライフワークのひとつだと思ってお手伝いさせてもらっています。
人には寿命があり、叶うこと叶わないこと様々ですが、あれがないこれがないと嘆くよりも、今あるものに感謝をして、どんな状況でもそのときのベストを尽くして生きていけばよい。そして、そのときの笑顔を忘れないよう、一枚の写真があったらなおよくて。やがてそれを次の世代が見て「これがおばあちゃんか、ひいばあちゃんか」なんて思ってくれたらとてもとても素敵じゃないかなと。家族写真にはそんなロマンがある。
今日は立冬。母の命日に、そんなことをつらつらと思ってみました。